小濱宿は武庫川の支流である大堀川が舌端状に蛇行する先端部に建設された自然地形を要塞として利用した昔の防衛都市である。
本願寺を拠点として近畿一円で展開された真宗門徒による【毫摂寺寺内町】であった。
しかし、秀吉によって石山本願寺が攻略されたために、その使命を失った。
が、有馬街道、京伏見街道、西宮街道がこの地で交差していた要衝であったために、江戸時代に天領(幕府直轄領)となった。
そんな小濱寺内町の核となるのが【毫摂寺(通称小濱御坊)】。
毫摂寺の建立年代は不明だが、応仁・文明の乱で焼けた京都本願寺の高僧・善秀が明応年間に小濱庄を開いたことが「摂津群談」に記されている。
秀吉は北政所とよく有馬へ通ったようだが、その都度、小濱の小濱御坊に投宿したと言う。
以上・・・mashinami.iinaa.net より抜粋
母はよく小濱・小濱、、、と言っていましたが、私自身は行ったことがありません。
しかし、ブラタモリで放映していたので、せっかく宝塚に来ているのだから、、、と出かけてみることにしたのです。
10年ぶりに訪れる、という母を伴って。。。
グーグルで調べてみると、阪急・売布神社駅下車、徒歩12分
が一番近いことが分かりました。
(昔、母は家から小濱まで歩いて行っていたようですが・・・。)
売布神社駅の駅員に【毫摂寺】への行き方を尋ねるも、知らないと!?!?
タブレットの地図を大きくして、教えてはくれたのですが・・・。
12分なんかではたどり着けません!!
ある男性に尋ねましたら、ブラタモリのことを知っていらして、親切に道を教えてくださいました。
タモリがお水を飲んだお家まで・・・(笑)
30分近くもかかって、ようやくたどり着くことができました。
が、、、寺内町! というからには大きなお寺だと思っていたのですが、これは私の思い込み???
きっと戦後 いえ、、最近、、、土地を切り売りされたのか、とても小さな境内で、ガッカリしたのは事実。
(お寺の周りには、新しい家が立ち並んでいましたから、売られたのかな?と思ったのです。)
日本庭園らしきものなどはなく、本堂と住職がお住いの建物と、近代的な蔵があるのみ。
タモリ一行も驚いたのではないでしょうか?
ちょっとした椅子も本堂に上がる石の階段も見当たらずで、腰掛けることも叶わず、写真を2枚だけ撮って、家路に着いたのでした。
本堂自体はとても立派な建物です。
昔来たことのある母が、これなら徒歩で宝塚まで帰っても大したことはない、と言い張るので、しずしずとしたがって歩くことにしました。
途中で、【首地蔵】にお参りし、墓地の中を通って大堀川の花の道公園 → 宝塚第一病院までやってきました。
大堀川は武庫川の支流とのことですが、人工的に造った川という説もあって、どちらが正しいのかは知りません。
が、、、マガモが2羽、鷺1羽、あともう1羽(これは何でしょう?)がいたのには驚きました。
少ない水量なのに、嘴を突っ込んで何か食べているよう。
きれいなお水なので、小魚でもいるんでしょう。。。
さて、、、宝塚第一病院までくると、二人とも疲れてしまって・・・。
だって、どこにも座れなかったんですもの・・・。
タブレットを見ながら途方に暮れていると、女性が声をかけてくれました。
徒歩で宝塚駅まで帰る旨を伝えると、
「それは大変! 今、何時?」
「1時50分です」
「まぁ〜、ちょうどよかった。1時53分に第一病院の無料送迎バスが来るので、すぐに向かいなさい」
と親切に教えてくれたのです。
約20メートルを早足で歩き、送迎バスを待ちました。
満席でしたが、患者? 見舞客? という感じで席を譲り合って下さって、座って阪急・宝塚駅まで帰ってきたのでした。。。
あのまま、歩いていては、相当の時間がかかったでしょうし、相当疲れた筈です。
90歳の母もよくついてきてくれました!
日頃、よく歩いているからでしょう。。。が、やはり「疲れた」と。。。
阪急デパートの喫茶店で、温かいココアを注文。
五臓六腑に染み渡るとはこのこと!
ココアのナント美味しかったこと!!
そのあと、私は母と別れてJR宝塚駅から電車に乗ったのでした。。。